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ついでに書くと

ついでにかくと、世の中には”数”とそこにある”哲学”に魅せられる人がいるという事を考えてほしい。
少数派だけど、確実にいる。たとえば、100=X^5 のより正確な答えを延々と電卓で計算したりする小学生や、中学で習う X を使った式の計算途中の式にどんな意味があるかを哲学的に考えたり、学校の授業とはまったく別の次元で算数・数学をとらえている人がいるのです。そういう人から見ると、哲学的な意味のないルールの記憶やそれによる高速な計算は意味が感じられない。日常生活の500円x10で5,000円とかも興味がない。単位の円はいらない。数字だけあればよい。111x111がきれいな数字に並んだりするとうれしい。7 で割り算して割り切れないと、ちょっと複雑な数の繰り返しになったりするのが楽しい。3 の倍数は全部の桁の数を足し算して 3で割り切れれば 3 の倍数。9 の倍数も似たような性質を持つ。それを暗記して点数を取るのが楽しいのではなく、、、、じゃなぜ、4の時はなりたたないの?なんでそれが成り立つの?といったことに興味がある人がいます。もう、本当に、世の中に役に立つとか、買い物に役に立つとか、そういう次元で算数・数学を捉えていない人がいます。そういう人からみると、「8x6 != 6x8」は苦痛です。数学的に間違ってない!!

小学校の算数はそういう人のためだけにあるのではないという、批判もあるでしょうが、じゃ、掛けられる数と掛ける数を”正確に”(正確の意味が不鮮明)教えたからと言って、なんの哲学的、教育的な意味があるんでしょうかね?例えば、チョコを6個つずつ8人に配るときに、答えとして48人と単位を間違える人はいないでしょう。きっと、みんな計算中は単位を忘れて(それが自然だし正しい)、最後に単位をつけるでしょ。
今の教科書にあるみょうちくりんな考え方は生活に必要ないですから。それどころか、生活に応用したら生活しにくくなりますよ。大人になる過程で意味が頭の中で構築できるし、計算と意味は分離して考えるようになるんです。

この考え方・イメージの強制コピーは個人の頭の中を画一的なものにしてしまうという、愚民政策を反映した陰謀と呼ばずして何と呼ぼうか?役人が人の頭の中に手を突っ込んでなにをするだ〜。しかもやりかたがきたない。指導要領ではあいまいにしておいて、裏で教科書を作る側をコントロールする(たぶん、受け入れないと認定がおりない)。書き順もそうだね。指導要領はあいまいにしておいて、裏で手まわしている。教育を何と思っているのか!!

世の中には、指導要領に散在するこの手の問題以外にも馬鹿げた教えはいくつもある。子供の通っていた塾では 3.14 の段を教えてましたね。意味がない、、、早く解けるかもしれないけど。ルールを増やしたらダメなんです。そういう意味でインド式の計算もダメ。9x9 までで必要十分。これ以上ルールを増やして暗記したら数学じゃなくなる。ルールを増やしちゃダメ!!暗記で乗り切っちゃダメ。哲学が必要。

勝手に覚えてしまうのはありね。2のn 乗とか。125 の掛け算とか。二けたの足し算はかなり暗記している自分に気が付いた。でも、これは数字が好きな結果。鉄道好きが山手線の順番を難なくいえるのと同じね。覚えようと思っているのではなくて、勝手に覚えているだけだから。

百ます計算もダメね。あれ、何が早くなっているかというと、マスを正確に判断して数字を入れる技術がついて早くなるんです。計算スピードじゃない。子供を見ていると、10x10のますのまんなかくらいになると、どこにいるのかわからなくなる。空間把握能力がまだ小学生の低・中学年だとついてないからですね。ちょっと子供を観察するとすぐわかることだけどなぁ、、、やみくもに信じている人は何を見ているんだろう?計算スピードを上げるなら、百ますではなく、縦に並べる必要がある(横でもいい)。しかし、縦に並べると、計算スピードってそんなに急に早くならないから、すぐに頭打ちになります。モチベーションの維持ができないだろうね。まぁ遊び的な数学へのつかみとしてはいいと思う。