思考停止 〜その2〜

思考停止という状態は誰にでも起こる。このように書いていながらも、つい最近、自分の発想が思考停止状態にあると感じるような事があった。

特急列車の中で話だ。いつの頃からか知らないが、山のような化粧道具を社内に持ち込み、列車にいる間に、その変身行為を済ましてしまおうという人が増えてきた。さて、その行為が是か非かというところで、私は思考停止をしてしまっていた。時代が変わりつつある中で、特急列車の中での化粧は市民権を得つつある。中には、マニキュアの除去液であろうか、強烈なにおいのするものもあって、閉口するときもある。単純に、その新しい慣習を否定することは簡単だ。

「公共の場で化粧をするとは何事だ」

と批判することは簡単だ。公共の場に、「化粧」という「プライベートな行為を持ち込み、、、」云々かんぬん。と理屈もつけられよう。

しかし、”ちょっと考える”と、多くの特急列車の中で起こる飲食行為とどう違うのであろうか?という疑問にたどり着く。お昼ごはんを食べる、ビールを飲む、つまみを食べる。これらの行為は日本の伝統としては、どちらかというと、「プライベートな行為」であり、人前で気軽にするような行為ではないように思える。山手線の中で、飯を食っていたら、それは失礼な行為といってよいだろう。

しかし、私は、特急やグリーン車の中で、まずはビールなんてやり始めている会社員を見ても特別不快にはならない。ビールの臭いが好きでない私でも特に不快にはならない。それでは、化粧はどうなんだろうか?どう考えたらよいのだろうか?

もともと、特急やグリーン車の中にはある程度の仕切りがあり、その中に、ある程度のプライベートな事情を持ち込んでもよいような雰囲気はある。靴を脱ぐ、友達としゃべる、ご飯を食べる、、、そのひとつとして、化粧をするというのが加わっていても別段不思議ではない。

ただ、今まで、そのようなことをする人が少なかった。そして、今や、時代が変わり、化粧をする人が増えつつあるが、その時代の流れに意味なく、思考停止状態で向かっていくと、「公共の場で化粧をするとは何事だ」という感情になるのではないか?

もちろん、山手線や満員電車の中で化粧をすればそれはやはりちょっと、というか、かなり、首を傾げたくなる行為だと思う。

携帯電話のマナーというのも、私は考えたほうがよいと思う。携帯電話で話している人と携帯電話ではないけど大声で話している人、どちらが、迷惑なのであろうか?どっかの有識者が、「電話のような会話の半分を聞かされるのは結構迷惑な話である」見たいな事を書いているのを見たことがあるが、何を言っているのかさっぱりわからない。そもそも、他人の話を盗み聞きすること自体がおかしいのであって、その内容がどうであれ、迷惑の度合いは変わらない。

話はもっと単純で、電車という公共空間において、人の声を雑音として許容する容量の問題なのだ。大声で話す人が20人もいたら、携帯電話であろうとなかろうと迷惑なのだ。逆に、一人くらいで小声で話していれば、携帯電話であろうと迷惑ではない。ただ、この車両では携帯電話で話してよい人数は3人までです。という制限をつけることは難しい。携帯電話以前の時代では、その人数は暗黙の了解によってバランスがとられていた。大声で話す人たちがいれば、自分たちは控えるというような事が常識としてあったわけだ。携帯電話の特質では、そのような、暗黙の了解を守ることは難しいようだ。電話でしゃべる人は、周りのことより、電話に集中してしまい、公共とのバランスをとることが難しくなるようだ。

電話での話し方の慣習というのもあるかもしれない。電話では普段より多少大きな声になることが多いように思う。また、若干トーンも高くなるのではないか?普段より大きな声でトーンが高ければ、動物学的に気になる音の領域に入ってくるのではないか?そうなると、携帯電話の声というのはかなり迷惑な音に分類される可能性がある。もっとも、これらは個人的感想で、そのような事実が社会学としてあるかどうかはわからない。証明できれば面白いと思う。

いずれにせよ、携帯電話でのマナーは、「大きな声」とその「人数」によって決定される雑音の大きさによって論じられるべきである。しかし、私が見た幾つかの「携帯電話マナー論」は新しい慣習の排除という、きわめて非論理的で感情的なものであった。

私が思うに、それらの「新しい慣習の排除」は思考停止であり、問題の本質を議論する場を失わせてしまう愚行である。

どうすれば、思考停止に陥らないか?これは非常に難しい問題であり、いまのところ、私にとって回避するための特効薬はなさそうに思える。とりあえず、何事に対しても「正直」で「謙虚」であるように努力すれば、少しでも、思考停止状態に陥ることが少なくなるように出来るのではないかと思っている。