新千葉 ガーベージ・コレクション

FPGA マガジンやインターフェースで書けなかったこと等をちょぼちょぼ書いてます。@ryos36

戦う基準を考える

じゃ”戦う”基準を考えよう。

1. 非論理的で隣人を侮辱する事
最近、この手のは多いね。
先日、大島渚の足跡をニュースで流していて、その中に、子供の当たり屋を描いた映画があるらしい。昔はこういうのがあった。おれおれ詐欺や、最近じゃ MRI の話もあるし、これをもって「日本人はこれだからだめだ」とは言われたくないってもんじゃないかな?翻って、特定の個人のえげつない行為をもって、その国をなじる行為はどうなのだろう?
心理的には赤信号みんなで渡れば怖くないといったところか。

そういう意味で猪瀬さんの発言もダメだよね。「日本人は国際常識がない」と言われたりして。


2. 非論理的で間違って広まってはいけない事
右脳左脳とか、女脳とか男脳とか、極端な場合は ABO の血液型や星座占いとか。


3. 自分の信念と違う
ここは人それぞれだからね。戦っちゃいけないところなんだろうね。そういうときは、記憶を塗り替えるといいらしい。トラウマの克服方法と同じ。記憶を封印するのではなく、思い出した上に、それを克服したという記憶を植え付けるのがいいらしい。私は blog で発散する。

「これは“試練”だ。過去に打ち勝てという“試練”とオレは受け取った」

”戦い方”もついでだから考える。
だいたい、直球すぎてだめだからね > 自分

1. 無視
戦ってないじゃん。みんな冷たいよね。目隠し手がけに向かっている人に何も忠告しないのだから。
「手先が冷たいんだ。触ってみてくれ」
無視した結果、命を落とした。

2. 遠まわしに忠告
だいたい気が付かない。とおまわじゃ気が付かない。

3. どまんなかストレート
以後の発言がなくなる。難しいものだ、、、、情報がないのが一番困る。このパターンは自分の場合多い。

うまく言葉の選択をできる人はうらやましい。語彙も表現力も乏しいとなかなか難しい。結局、戦い方なんてないんだよね。

論理を優先する技術系の人とは論理的にやりあえるから楽。あと、ヨーロッパの人とはストレートにやりあえるから、ある意味楽だなぁ、、、めんどくささは日本と同じ(あるいはそれ以上)だけど。