ウェブ進化論

梅田さんの文章は実に痛快だ。google を軸にした「あちらがわ」と「こちらがわ」の考えはなるほどという気もする。しかし、文章全体を見ると、どうも後から来た人という感じはする。いっていることは INS の時代と変わらない。私は80年代からコンピュータを見ているから、いまさらという感じが強くする。ただ、高度の情報化社会というのは20年前とは違うと感じる。だからどうだ?結局、自分のするべきことを浮つくことなく、こつこつやるしかない。後から来た人は、金を見つけて、金のにおいのするほうにいけばよいと思う。スタイルが違うのだ。

オープンソフトウェアに対する基本的な誤りもある。オープンソフトウェアの現場はこの本が説くような自由を謳歌するパラダイスではない。共産主義的な理想もない。民主主義もない。実はそこにあるのは強烈な個性による、リーダシップなのだ。Linux, OpenBSD, FreeBSD, NetBSD どれも強烈なリーダシップがあり、FreeBSD ではコミッターというハイアラキーもある。

恐らく、強烈なリーダシップによる、ピラミッド構造がないと、オープンソースの運営はうまくいかない。成功するオープンソースはそのリーダシップが続くかつつかないかである。リーダシップの取れる範囲のピラミッド構造だから、必然として、複雑なピラミッド構造は取れないし、流動性が高いという特徴はある。

オープンソースは理想郷ではない。

チープ革命という発想は確かに的を射ている。いずれ、ネットワークを通して、低賃金の人たちが、インストール作業などのルーチンワークをこなすという社会(いやもうすでにそうなっているのか?)が来るんでしょう。

しかし、当然、それは「あちらがわ」を中心とした仕組みだ。「あちらがわ」で、我々技術者は勝負してはならない。時給を争うことになる。また、ウェブ技術を中心とする、バーチャルマシーンで動作する世界では、比較的ルーズな技術者がまかり通る。そして、そこに金と人材がつぎ込まれるという図式に世の中がなってしまった。

だから、いまこそ、われわれは「こちらがわ」でがんばる必要がある。あくまで、「こちらがわ」。ものづくりの発想は私は悪くないと思う。私はやっぱり、日本の江戸職人文化が好きなので、ウェッブの上に載っている人たちの言葉より、スズキの会長の言葉のほうがぐっとくる。

リバレッジを効かせたいという思いはあるが、それだけではやっていけない。やっぱり、最終的にはこつこつ1円を稼ぐというのがよい。金というのはあくまでサービスへの対価なので。

ある意味、コンピュータ以外の世界でも、「あちらがわ」という世界は出来上がりつつある。例えば、金属加工などは、賃金の安い「あちらがわ」に移っていってしまった。しかし、技術の高い金属加工は早々、「あちらがわ」には行かない。技術があれば、「あちらがわ」と勝負する必要はない。ぎゃくに「あちらがわ」にのまれてしまうのは、その程度の技術しかなかったといえる。

「高品質より生きる道なし」

こつこつと積み上げて、職人的な高品質を築き上げればよいし、それが私の目指すところだ。