東京と地方

話は変わるが、先日、地方弁丸出しでしゃべるという番組を見た。なんともリラックスした番組で、それを考えると、テレビ番組の大半が不自然な”標準語”というものの上に乗っかっていることがわかる。関西の人間が東京の人間は”すかしている”というのがなんとなくわかってきた。関西の番組をそうそう見ることは無いが、関西弁で構成されている番組はより身近なものだろう。
東京圏は多くの地方から人が集まってくる。そして、不自然な”標準語”を共通語として使い、隣の人が何をしているか気にしながら生きていく、、、しかし、その不自然な標準化が大きなパワーを生んでいるのではないかとふっと思った。
隣の人が新しい携帯電話を買えば、自分もついていくために新しい携帯電話を買う。iPOD を買えば、私も買う。そういう見栄の張り合いが一つの大きなうねりとなって、消費経済を支えているのではかろうか?
東京はいつまでも”すかして”見栄の張り合いをしている”都会”であることに意味がある。